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ブログ 2015年3月

カミソリのお作法

セルフシェービングでカミソリは何をお使いですか

使用しているカミソリはこまめに新しくしていますか

剃る際は何を塗って剃りますか

いつ剃っていますか

顔 えり足 腕 ワキ お腹 背中 ヒップ 足 Vライン

剃る場所は沢山



今回はそんなセルフシェービングでのお作法をお伝えしたいと思います

市販のカミソリには大きく分けて2つ【T字カミソリ】と【I字カミソリ】



それぞれ使い捨てなので、もったいなからといって長く使用するのはNG

剃刀の刃の切れ味も悪くなるし サビや汚れも付着して不衛生。肌トラブルの元



お風呂で使用した際は、使用後はしっかり水気を切って保管 使用回数は2週に一回は変えましょう

保存が良ければ長くても1ヶ月が限度(あまりオススメはしません)

 


体を剃るときは、毛穴や肌への負担(肌荒れやカミソリカブレ対策)を避けるためお風呂で体を温めて皮膚を緩めてから剃りましょう

剃る時 石鹸はNG!!⇒洗浄成分によって肌の乾燥の元に。使用するなら使わなくなった乳液・ボディクリームなどの保湿効果のあるモノがオススメ



体を洗ってお風呂で温めた後に肌の水気を軽く拭いてクリームなどを付けてからシェービングすると

その後の肌の乾燥も防げるしモチモチになって良い感じ♡



絶対NGなのは、

肌が乾いている・温めず緩んでいない肌に何も付けずシェービングする事(しかも朝のお化粧前)

ほっっっっっんと~~~~~~~うに 止めましょうwobbly

眉や口元は結構みなさんやりがちのようです。。。。。角質を傷つけるし 赤みが出て肌荒れるし

とにかく 

何も塗らないシェービングNG!!!!

肌乾いた状態でシェービングNG!!!!

お化粧前のシェービングNG!!!!!

なにか塗っても肌が乾いているのもNG!!!!

肌には再生能力が備わっていますが、いたわらないで酷使させればそれだけ

後の肌質変化に必ずツケが回ってくることをお忘れなく・・・・


お風呂上りには肌を労ってあげることが必須!それは、酷使した肌は年齢とともに老化して くすみ・乾燥・角質肥厚・滑らかさのない肌になります。

だからお風呂上りの保湿は顔と同じように体にも行いましょう

最近だと、クリーム保湿が広く知られて一般的です

私はそんなお客様の肌を多く見てきましたが

やっぱりクリームでも肌の水分不足は否めない。サロンにいらして下さった方へは【化粧水保湿】を重要視していただくようにしています

100円均一で売られているスプレータイプのボトルに化粧水を入れてお風呂上りにまんべんなく噴きかけるだけでOK!

こんな簡単な事でも1周間もやっていると肌はウルウルのもち肌になりますよ

化粧水はこだわりがあればそれを使って下さい

体用に、購入するならお徳用ボトルの化粧水を買えば気兼ねなくバシャバシャ使えるのでおすすめ(^^)



私はコレ使ってます!!

エラバシェ【トマジェンヌウォータークレンジング】

特にシェービング後の肌には

このトマジェンヌで保湿して肌の質感をUPさせるようにしてます





シェービングのお作法は守れば自分の肌じゃないほどうるモチ肌になりますよ

是非 お試しあれ

ワーキングホリデーの夢

ワーキングホリデーに行くきっかけは人それぞれ

私のきっかけとなった出来事は、幼い頃

かなり年の離れた従兄弟がワーキングホリデーに行った事が1つの大きなきっかけでした

当時日本がワーキングホリデー協定を結んで数年たった頃だったかと思います

私は小学校低学年 従兄弟は帰国後に我が家へ立ち寄ってくれ

様々な身の危険があったこと、ヒッチハイクでオーストラリアを回ったことなどを

父と母に目をキラキラさせながら話していたのを覚えています



強烈に覚えているのは、身なりは正直幼い私が見てもボロボロで決して【一般的日本人】には見えませんでした(笑)

しかし、ボロボロでも命の危険にさらされても それ以上に得たものが大きかったのでしょう

あの目の輝きと自信に満ち溢れた姿が、【ドンッ!!】と私の心に響いてきました



「大人になったら外国に行きたい」そう思うように



何故かは覚えていませんが「英語カッコいい!」という感覚からくる興味で

よく学校の帰り道、話せもしない英語のような言葉をブツブツ独りごと言っていた記憶も(今思えばちょっと変な子供デス・・・)

引き寄せたように、英会話スクール勧誘が自宅に突然訪れ

英単語を発音すると、褒められ煽てられて(笑)私が親を説得するという営業さんの手中にハマり英会話スクールへも通わせてもらったり

入院中の母に「交換留学制度に参加したい」と、家庭の状況も考えず口走ってもみました

私の性格上 真面目に勉強することが出来ない。。。(考え方次第で何とかなったと思うけど)

学校の英語教育もつまらない ただただ机に座って 文法の勉強・・・・

もちろん交換留学生の審査に引っかかる成績はなく断念(努力しなさい私! (笑))



最初のきっかけから、20年かけて実現

いつか従兄弟のように外国に行きたい夢は大人になって貯めたお金全部使ってオーストラリアへと飛び立てた

こんな感じです(*^_^*)

夢を持つって大切 夢を持ったら口に出す 口に出すと行動したくなる 結果 実現できるんですよね!!!



おつきあい下さりありがとうございます

シェービングサロンとの出逢い

ワーキングホリデーに向けた出国まで数ヶ月という頃(この時はまだ   床屋さん勤務継続中)

退職後には2ヶ月弱の無職状態になることに気づいて

渡航までせっかくだから理容師を活かせる仕事は無いかと求人誌をパラパラ見ていました

正直な所、カットやカラーリング・パーマ技術は好きではなかったので

シェービングを活かしたいという思いだけでした



そんな時に出会ったのが

その後、多大なる影響と刺激を受ける事となる

シェービングサロン求人と巡り逢いました(今思えば 本当に運命的出会い)



早速、人事課に連絡し面接の日取りを取って頂きました。

出国までの2ヶ月弱の短期間だけ働かせてくれるとは思えなかった為

すぐ辞めることは面接で伝えないつもりで向かいました。



今でも忘れない、面接場所は恵比寿某所

サロンのスタッフ(この時のスタッフはいずれ私の尊敬する上司に)が面接場所まで案内してくれ 共に向かうと

なんと面接相手は社長だと言うのです え・え・えーーーーードキドキ・・・・

話が始まるとなんとも 気さくでエネルギーに充ち満ちた方でした

シェービングは私の中でとても重要なポジションにある技術

それを最大限に活かせる場が美容として発揮できるなんて

願ってもない素晴らしい場所です そして、時々今でも思い出す言葉が

「理容師の価値を高めて、単なる【理容師】としてではなく女性を綺麗にする美の創造者【シェービニスト】として地位を高めてもらいたい」

 「長く働きたい」そんな気持ちの湧く面接



その時 大事な事を思い出します【短期間で辞める】ということ。

社長のエネルギーに影響されたのか、この人に嘘偽りを言うのは申し訳ないと

「実は、2ヶ月後には留学に行くため長く働けません。それでもご迷惑でなければお願いします!」意を決して伝えていました。



あ~~~もうダメだ、断られるだろうと瞬時に落ち込んだ矢先 社長の言葉に驚きました

「そうかぁ、良いね留学 初志貫徹としていて良いじゃないか!!」

(初志貫徹??なんじゃそりゃ?)と思っていましたが、採用して下さって

働けるのならすぐにでも来なさいと。

そして、床屋さん退職後 無職時期もなく すぐにシェービングサロンへバイトという形で入社したのでした



当時はまだ、シェービングエステサロンは

この某サロン以外無かったと思います。店舗も恵比寿が一号店

そして私にとって 社長のシェービングを世の女性に広めていく・理容師の価値を高めるという考え方は、感動でした

それは

20代の私は【理容師です】と人に職業を言うのが嫌でした

カリスマ美容師ブームもあったため 毎度毎度 男女問わず職業を聞かれる度に

「え?美容師?」と聞き直されたり 「理容師って、床屋でしょ?なんで?美容師じゃなくて?」とウンザリする程、経験したので

理容師という国家資格に自信を無くしていたから

シェービングサロンが都内の一等地とても有名な場所で理容師が美を創造することが出来るなんて素敵すぎます!



そして経験年数も程々にあったので即戦力として働け

働きながら新しい学びを得ることの出来た収穫の多い日々を過ごしていたら、あっという間に渡航時期が迫ってきたのでしたshine



この経験を堺に、自分の中で【ダサい理容師】の呪縛からも解き放たれて

オーストラリアに降り立ってから増々 【理容師】の価値観が変わっていく出会いに溢れていたのです。

それはまた次回にでも

留学に向けて

私が理容師になってからのお話をお送りしております

今回もお付き合い頂けましたら嬉しいです

過去の記事はコチラからどうぞ⇒理容師になったきっかけ 理容師 見習いアシスタント編① 理容師 見習いアシスタント編②





自分の留学の夢を叶える為に行動を起こします。目の前にある夢に向かうことで日々の輝きを取り戻した気がしました

留学といっても、語学留学ではなくワーキングホリデー

1年間自由に好きな国で過ごせる制度です。

語学を学ぶ・働く・旅行をする 自分でどう過ごしたいか計画を立てて渡航出来る。

カナダ・イギリス・ドイツ・韓国・オーストラリア・ニュージーランド等 多くの国の中から好きな国を選べます

私はオーストラリア 寒さに弱いのでカナダと迷いましたが南に下ることに

ワーホリサポート会社を選びながら、オーストラリアの何処の都市に行くか調べて

西オーストラリア州 パースという街に決めました。(自然も多く 日本のように割と四季があるエリアで大変おススメです)



その後サポート会社を訪れ 右も左も分からない私をサポートしてくれるスタッフと共に

渡航時期・チケット手配・ホームステイ先と着々と決まっていきました。

同時に無料英会話にも参加できる為 同じ夢を持つ仲間 友人との出会いが多く益々視野が広がり希望に満ちてく日々



サロンの休みを利用して英会話に参加するうち退職する時期も迫ってきて

出発まであと 6ヶ月

退職前には、お世話になった先輩・後輩・店長方に素晴らしい送別会を開いて頂けより一層

実感と同時に 色々あったけれど、感慨深く気持ちが湧いてきました



しかし、いよいよ退職の日

この日も大事件が巻き起こり 感動の涙とは

程遠い 辛く悲しい思いを刻みサロンを立ち去ったのです

理容師 6年目からの戦い②

色々波乱が巻き起こり始めた6年目
 
注) 私の主観であり 相手方の本心は今も分からないままです そして読む方によって様々な考え方もあります そこは皆様にお任せします
 
 
 
読むとヘビーな内容もあるかもしれませんが、宜しければお付き合い下さい
 
 
 
私の覚えている事 波乱尽くしではなくもちろん、楽しいことも沢山ありました
 
毎年 七夕には、後輩Kと浴衣を着て仕事をしてお客様に楽しんで頂いたり
 
(自分たちが一番楽しんでいました)
 
季節ごとに受付に手作りの作品を飾ってみたり
 
 
 
それと平行して、退社までの日々は激しさを増していきました。
 
 
 
毎日毎日、営業後に呼び出され ダメな所を1時間以上言われる
 
後輩がしでかしてしまった事に対して罵声を浴びせる
 
人格否定までされ「頭がおかしい、近所の人も言っている 病気じゃないのか」と言われる
 
営業後に売上が合わない事で (お釣りを多く返してしまったのが原因)
 
「レジ管理してるのはあなたでしょ、盗んだんじゃない?!入客しなくていいから受付に立っていなさい」と
 
受付に数日間 入客もせずただ立っているだけの日々(この事件の時は、スタッフが戦力のスタイリストが稼働しないと困ると言ってサロンワークに復活出来ました)
 
 
 
 
 
だんだんと泣かないことに更に腹が立つのか、反省の色が見えないと罵るように・・
 
正直どうでもよくなり、泣いたらいけないと思っていた私も
 
1時間2時間と罵られることにうんざりしてきたので
 
『そろそろ泣いて 終わりにしよう』 と涙を流せるまでに(特技取得 笑)
 
泣くとと、「誰よりもちゃんとやっているのは分かっている」と言われ収束
 
やっと帰れるのです。
 
 
 
こんな日々が続き、心の受け皿が溢れていた私は日常生活に支障をきたし始めました
 
 
 
休日に電車に乗ると必ず、吐き気と腹痛・目の前が真っ白になり立っていられず倒れる
 
突然ガタガタと震えだし寒くて寒くて仕方がなくなることもありました
 
ギリギリの状態で送る生活はどんどん心を蝕んでいき
 
最後は本当に自分は精神疾患なのではないかと思い、精神科や心療内科に行こうか真剣に悩み病院を探しました。
 
 
 
しかし
 
『本当におかしいか、他の人に客観的に判断してもらおう。誰かがおかしいと言えば病院へ行こう』
 
そこで 遠回しに色んな人にコンタクトを取りました
 
お客様や親 スタッフ 近所のお店の人
 
どう見ても、みんな私を普通に扱い 可哀想な人と労ったり 変な目で見ていないと感じ取りました。
 
そうです、私のお気楽主義が復活 もうどうでもいいや!サロンのスタッフが気持よくいられるなら それで良いと
 
吹っ切れた瞬間でした(こんなに強く育ててくれた親に感謝 もちろん一番の理解者です)
 
 
 
そして 自分の夢を叶える為の一時的な状況だと心に落としこむことが出来たのです
 
 
 
その後も 何度も何度も同じ状況を味わいましたが
 
自分の【留学】の夢に向けて 本格的にエンジンがかかった7年目へ向かえるようになってきました。
 
 
 
 
 
 
 
社会・日常生活を送る中で、辛いことが起きても絶対に一人ではない
 
自分の回りには多くの味方になりうる人が必ずいます
 
つらい状況下では視野が狭くなりますが ちょっと見渡すだけでイイです
 
必ず誰かが手を差し伸べてくれています 手を広げて待っていてくれてるかも。
 
それが親・友人・同僚・後輩・先輩・知人・お客様・子供・旦那さん・奥さん
 
自分かもしれません
 
だから大丈夫だよ。 と、もし悩んでいる方がいたら伝えたいです

理容師 6年目からの戦い①

私が理容師として6年目に入ろうとする頃
 
後輩も育って 技術的なバランスもとれてきました
 
新人やその他後輩の教育と、練習教育係の統括を任せられ
 
各店舗の集客状況会議もやる様になりました
 
良くも悪くも大変勉強になり、次に活かす事 続けていく事を常に後輩や先輩たちと学んでいました
 
 
 
 
 
ただ、
 
 
 
今思えば 一人でなんでもやろうと躍起になり過ぎた事がいけなかった
 
 
 
この辺りから、共にサロンに立っていた社長の奥様に
 
怒られる頻度が増え始めました
 
はじめは 自分に至らない点やきちんとした報連相が出来ていないから? 程度でした。
 
叱られているなと感じていた頃はしっかりしなくては。位に思っていました
 
 
 
しかし、余りにも
 
呼び出される頻度の高さに徐々に受け入れるキャパシティから溢れて始め
 
 
 
 
 
少し社長夫人が落ち着いて話が出来そうな時に
 
「留学に行こうと思ってます」と退社の意志を告げました
 
この日は「夢を叶えるのは良い事、若いうちにしか出来ないのだから頑張って」と
 
スゴく応援してくれました
 
しかし そう簡単に穏やかさを取り戻すことなど出来ませんでした
 
つづく・・・

理容師時代の楽しいイベントと

理容師になったきっかけやアシスタント時代の他に
 
理美容師さんなら誰もが一度は参加している【全国大会】
 
全国大会は全国津々浦々 開催されている催し物です。私も毎年このイベントが楽しみでした
 
 
 
1年目にワインディングというパーマのロッドを巻く大会に出ました
 
ウィッグという首だけ人形の頭に20分間巻きつける。これだけ
 
しかし この単純作業の奥深さ・・・・毎夜毎夜 大会に向けてひたすら綺麗に巻き続ける
 
1年目は緊張しすぎて巻くのがやっと
 
2年目以降 出場する種目も変わっていきます
 
しかし、全国から集まる理美容師の熱気たるや すごい刺激を受けます
 
緊張しなくなり、大舞台に挑む楽しさからアドレナリン放出状態(笑)
 
度胸はつくし、友達は出来るし、後輩の成長に感動するし
 
 
 
 
 
賞を取ることは出来ませんでしたが違う何かをいつも手に入れる事は出来ました
 
(大会というものには何故か傾向と対策勉強会があり、その勉強会に出た人ばかりが入賞するのには疑問を持ち続けている)
 
 
 
 
 
それ以外には、当時
 
様々な理美容室から新人を集め 大掛かりな新人研修も毎年行われており
 
新人の頃は恐怖に慄いていて記憶にないのですが・・
 
教育係での参加は2~3年あり面白かったです。
 
今じゃ絶対に時代錯誤な新人研修なので耐えられる人はいないし、私も出ろと言われたら絶対イヤッ(きっぱり!)
 
しかし、あそこで知り合った他サロンスタッフとの交流は素晴らしい物があり
 
今でも現役で頑張り、サロン経営をしている後輩もいることが誇らしい
 
 
 
イベント事は他にも年1回 社員旅行がありましたが、正直 行きたくなかった
 
先輩に媚びへつらい合戦 バカバカしいと思いながら
 
コバンザメや金魚の糞の様な人を見ていました。そりゃもう男も女も必死(笑)
 
媚びることが好きではなく、得意でも無いので可愛がられるということは一切なかった
 
だから後輩が出来ても常に【ツルむ】なんていうのは なし
 
後輩だからといって、子分みたいにするなんてゴメンでした・・・
 
 
 
さて、次は
 
歯車が狂い始める6年目から退社に向けて行きます

理容師 見習いアシスタント編②

理容師になり、サロンOPENまでの軌跡をお送りしていますがまだ読まれてない方は
 
理容師になったきっかけ + 理容師 見習いアシスタント編①へどうぞ!
 
 
 
アシスタントしながら、後輩も出来て何だか順風満帆な気分を過ごしていた頃
 
精神的に強さが出たのか、な~~~~んにも恐いものなどありませんでした(いや、ただの怖いもの知らずか鈍いだけかも)
 
お客様にも可愛がられ
 
「続いてるわね~ 続くと思わなかったわよ」と本音を聞けたり
 
「おい、じゃじゃ馬!! お前の練習台になってやるから」とイヤに張り切る人
 
「あんたこないだチラシ配りしてる時、でっかい声で歌いながら歩いてたよな(笑)」と覚えてくださっているからこその目撃情報
 
セクハラされたり・・・・ 後輩Kと共に看板娘になっていきいつも笑顔
 
 
 
根性とか我慢とかではなく、やれる所までやりきったからこそ得た世界は素晴らしいものでした
 
 
 
アシスタント時代の練習で一番楽しかったのは、顔剃りでした。
 
何故かは未だに思い出せないですが、初めて練習が楽しいと思えた技術
 
 
 
顔剃りの練習というと
 
周りの友達に良く聞かれたのは「風船使って割らない様に剃るの?」と。
 
いえいえ、そんな事しません
 
私の居たサロンは 初めから人間でした
 
プロ用カミソリなんて持ったことも使ったこともないのに「はい、どうぞ」とやるんです!!
 
同じサロンに居た、男性スタッフ(おじさん)の顔をソリソリ・・・・・ た た 楽しい!!!!
 
練習ですがプロみたいと酔ってました (笑)
 
楽しく仕事をする、練習をするというのは上達も半端じゃありません。顔剃り練習で傷を付けたことがほぼありませんでした
 
シェービングとの運命的出会い その後の私にかなりの影響を与えました
 
 
 
 
 
4・5年経ってくると後輩もだいぶ増え 私は朝練・夜練の教育係として受け持っていました
 
何年かトレーナーとしてやっていると、普通の練習だけでは みんなダレて来るのが分かるのです。
 
そりゃ、長時間練習するのに集中力が持つわけない(私がそうだったし~~w)
 
そこで私の悪知恵が働きまして・・・・・
 
ゲーム方式で練習をしました 色々毎回変化させて負けたら罰ゲーム
 
私の罰ゲームは練習以上の過酷さ(笑) 遊びながら楽しみながら気づけば2時間3時間やっているわけです
 
しかもみんな上達するし
 
会社の試験をパスしては、何人もの後輩がわざわざ電話をくれたり 会いに来てくれたり本当にみんな可愛かった
 
そうやって行くうちに 気づけば肝の座った姐さん状態に
 
元ヤ◯キーの後輩だって可愛いもんです
 
たまにお金のない後輩を連れて夜ご飯を食べに行ってみんなに元気を注入していたのですが、
 
この辺りから歯車が狂い始め・・・・・・床屋さん時代の平和に陰りが見え始めました。

理容師 見習いアシスタント編①

引き続き、グランツ立ち上げるまでの軌跡をお送りします
 
 
 
無事に就職も決まった頃
 
私の母が持病の悪化により入院することになりました
 
今でもその当時を思い出すと切なくなるの出来事が・・・・・
 
入院前に髪を切りたいが体がいうことを利かないので私に切ってくれというのです。
 
家にあった紙切りハサミで切ったけれど、そりゃもう虎刈りという状態
 
泣けてきました
 
 
 
この時に必ず上手に切れる様になろうと決めた出来事
 
 
 
こんな心を打ちぬく出来事があったにもかかわらず
 
お気楽主義な私は入社して、自分の甘さにより厳しい世界の洗礼を受けるのです(笑)
 
 
 
入社当日から研修は始まりました。9時-18時で帰る日々が1週間程あり
 
気分はOLさん(←この気分ゆえ 洗礼を受けるハメに
 
そして2週目からサロン配属、現場でアシスタント開始
 
私は床屋さん 他に同期が2名いて二人は美容室配属
 
新人で且つ資格も無い私達の出来る事といえば
 
タオル洗濯・床に落ちた毛掃き・チラシ配り(ポスティングとハンティング)で1日が終わっていきます
 
この営業時間中で過酷だったのはチラシ配りです(笑)
 
午前と午後で時間制限2時間で、ひたすらチラシを配るのです(1日一万歩は軽く超えてました)
 
以下に素早く的確に配り、サロンへ戻り 洗濯・先輩のヘルプ・毛掃きをし仕事を覚えることが出来るかをまさに試されました
 
 
 
それと同時に受けた洗礼(←私の甘さゆえ感じた事)
 
 
 
朝練と夜練です
 
朝は7時集合のみっちり1時間半
 
夜はサロンが終わり次第集合で、だいたい7時30分~11時位まで
 
(練習参加はスタイリストが仕事中でも行かせてもらえるので感謝しながら出なくてはダメ)
 
学生時代の私はたっぷり8時間睡眠が普通だった為 過酷以外の何者でもありませんでした・・・
 
 
 
同期一人は2ヶ月で辞めました。 残った私ともう一人は「頑張ろう」と誓い合います
 
 
 
この生活に慣れ3ヶ月・6ヶ月・1年・1年半・2年・3年・・・・・と過ぎて行きました。
 
シャンプー・カラーリング・パーマ・ブロー・カット練習と3年間 みっちり
 
叱咤激励受けながら、会社の試験をパスしてサロンで技術のヘルプに入って行きます
 
 
 
いや~我ながら頑張っていました(笑)
 
当時は世田谷界隈で一人暮らし、電車に乗れば実家に帰れる距離でしたが
 
ふと気づくと半年帰ってない何てザラでした。
 
電話も1ヶ月音信不通で たまにかけると「生きてたの」と言われる有り様
 
 
 
しかし、いざ
 
辞めたい辞めたいと泣きながら母に電話をすると
 
母親は「やれる所までやってダメならいつでも辞めなさい」とあっさり言うもので何かが吹っ切れ気づけば続いてましたgood
 
 
 
新人と言われる1年間は、綺麗事では済まされない私のダメさも露呈(笑)
 
朝練に遅刻はする・練習中にうたた寝・何度も同じことを練習も営業中も叱られ
 
先輩や店長などから呆れられる程(自業自得 笑)
 
でも 本社にいる部長だけは、いつも
 
「おのっち~(←私の旧姓が小野)どうした!いつもみたいに笑って 面白い話するか」と
 
声を掛けてくれ気持ちをほぐしてくれ 今でも感謝しています
 
 
 
 
 
2年目からは後輩も出来ますが、そりゃ厳しい世界でした
 
続きません すぐ6ヶ月と持たず辞めていきます。
 
そうすると当時 大嫌い(笑)だった店長からチクチク言われるけれど
 
「私いじめてないし」とスルー(笑) (←こんな後輩や部下がいたら 私 嫌です・・ww)
 
そんななか、3年目にして3コ下の後輩Kがやって来るのです。
 
大嫌いだった店長も寿退社(心の底から喜んだ)
 
※今思えば、一生懸命育ててくれていたからこそなのですが若かった私は人間の浅い奴でした。
 
後輩Kは本当に本当にスゴイ子でした 1年目の自分を棚に上げ厳しかった私を一番慕ってくれ
 
頑張ってくれて自然と姉妹のようになっていきました。
 
 
 
その頃
 
 
 
私の唯一の同期は辞めたい病にかかり
 
私達は国家試験とサロンでスタイリストデビューも目前という やっと華やかな世界に立てる所で
 
私の力及ばず辞めていきました。
 
「私の苦労なんて、あんたには分からない。贔屓されてるんだから」と言われて
 
贔屓なんてされるどころか、叱られてばかりだったけど
 
改心して練習に励み 媚を売らず何処の派閥にも属さなかっただけ。
 
こらえて頑張った私には、その言葉は傷ひとつ付きませんでした。ただ、寂しくなりましたが
 
 
 
理容師・美容師ってたいへ~ん!
 
社会人てみんな大なり小なり色々ありますよね
 
でも楽しい人生だなぁと思います
 
 
 
ではお付き合い頂きありがとうございます また次回

理容師になったきっかけ

目黒区 学芸大学にあるシェービング&エステサロン グランツをOPENするまでの
 
私の軌跡をお話しようかな と思います
 
生い立ちとか、この職業になったきっかけとか その他人生のターニングポイントとか
 
【色々、私 石井里美の事を知って頂くのも面白いかな】の発想でブログにしていきます
 
ご興味 お時間があればお付き合い下さい
 
 
 
 
 
私は自分が子供時代ずっとショートヘアで男の子に間違われたり
 
髪を伸ばしたい希望は毎度却下されており
 
その反動で 憧れはサラサラのロングヘア
 
だからか、小さい頃から家遊びは
 
お人形で私が一番ハマったのは「バービー」や「ジェニー」のサラサラのロングヘアを
 
編んだり束ねたり自分の憧れを人形に写していました
 
 
 
ある日一体の人形をカットしたい衝動に駆られ チョキチョキチョキチョキ・・・・・・
 
少しづつ少しづつ ハサミを入れ整えているつもりが もちろん大失敗で
 
ワカメちゃんの様な悲惨なヘアスタイルに(笑) あ~~~母に怒られる
 
隠してバレないよう、おもちゃ箱の奥に封印sweat02髪切りのキッカケはココではないかと(笑)
 
 
 
その後
 
高校時代は自分の髪はセルフでカットし始め
 
好評を得て(?) 同級生の髪もカットをよくしていました。
 
ヘアアイロンでデート前のセットも請け負ったり
 
人に喜ばれる事が楽しくて仕方なくて そりゃもう得意げでした
 
 
 
そうしている内に高校3年生
 
 
 
 
 
私は商業高校に通っていたので(今はもう商業高校ってないのかな~)
 
簿記やそろばん・電卓計算など 出来は良くなかったです。。。。が
 
高卒で働いて自分でお金を稼いで自立したかった
 
そして、意味もなく進学して親に莫大な学費を払わせたく無かった為
 
就職先を探す日々を送っていました
 
実は当時
 
私は銀行員になりたかったのです(路線が全く違う 笑)
 
 
 
時代は就職氷河期スタートの時代で 銀行や信用金庫の就職先はほぼ無く
 
(就職決定後に知ったのですが、銀行求人は先生が隠し持っていて聞いた生徒にしかオープンにしなかったとか、成績の良い生徒にしか斡旋しなかったとか・・・・・)
 
とにかく 路線変更を早々に決め
 
美容師になろっかな~~と 甘いことを美容師さんに相談すると
 
「美容師ナメんじゃないよ!どんだけ厳しい世界か教えてあげる」とアレコレ恐ろしい話を聞く事になり
 
では、理容師にします・・・・(←発想がおバカすぎて自分でも情けない・・)
 
 
 
またもや早々の方向転換
 
 
 
最後に行き着いたのは、働きながら理美容専門学校に通え 学費も出してもらえる床屋さんに決めたのでした
 
就職面接日は忘れもしない 台風直撃でびしょ濡れになりながら床屋さんへ
 
受け答えは緊張しすぎて最悪(笑)
 
しかし、
 
当時面接してくれた 部長さんが「バカそうだけどやっていけると思う」と
 
その他幹部を説得して無事就職決定
 
 
 
いまだに 同級生には「あの頃 何かにとり憑かれたように突然 床屋になるって言ってたよね」と引き気味で言われます(笑)
 
 
 
さて、
 
 
 
床屋さんに入ったは良いけれど
 
そんなに甘い世界ではないことを思い知る話は また次回
 
お読み下さりありがとうございました!

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